食の安全を考えよう!
2008年02月02日
『中国産輸入餃子の食中毒問題』はまだまだ収まる気配なし。
日本側の問題も多々。
保健所の伝達ミスやら、品質検査のミスのなすりあい、その他諸々…。
食品に求められることは食べても安全ということ。
消費者だって、食料品は『安全が当たり前』で購入しているわけで、今回の事件はそれを根本から覆すこと。
消費者の『食の安全』に対する意識は今まで以上に上がるだろうし、企業側や行政も今まで以上に『食の安全』に対しての意識を高めなければならない。
『食料』自体の安全保障もな。
食料を海外に依存している今の状況を良しとしてはいけない。
食料自給率だって40%切ってる日本。
「中国産は消費者うけがよくないから、他の海外にまた工場ればいいじゃん!」とか考えてる人。
なんで、海外に依存することが前提なの?
有事の際(あっちゃならないが…)には、各国真先に自国の食料確保を最優先に動くよ?
前にも言ったが、『お金で食料は買えるが、お金自体は食べれない』わけです。
自国の食料安全に鈍感な国から潰れます。戦国の世がそうであったように。
今回の事件、「中国産は食べるな!」だけで終わらせていい問題じゃない。
『なんで日本は海外に食料を依存しているのか?』を原因含めてこれからの食料安全保障を真剣に考えていかなきゃいけない時期だと思う。
それは、政治家だけでなく、国民一人一人が本当に真剣に考えなきゃいけないことだ。
国民一人一人が真剣に考え、それを実行すれば、簡単に食糧自給率40%以上になると思う。
あなたはどう思いますか?

2008年02月01日
はい、今日も『餃子』ネタね。
中国側が「(保存していた)ギョーザのサンプルと原材料から(有機リン系農薬)メタミドホスは検出されなかった」とやっと回答。
じゃあ、メタミドホス以外の農薬は検出されたの?と思ってしまうのは俺があまのじゃくだからだろうか。
まあ、俺も原料となっている野菜が加工後に基準値以上の農薬が検出されるとは思ってない。
農家の立場から言わせてもらえば、原料となる野菜に、神経毒の症状が出るほどのメタミドホスがかけられたとしても、加工時に洗われ、細切れにされたら、神経症状が出るほどの農薬が残留するわけがない。
白菜なら農薬がかかる外葉はむいてしまうだろうし、ショウガなんかは土中にあるものだから、掘り上げてから農薬をかけない限り検出されることはあまりない。
原料の野菜で一番疑わしいとしたら『ニラ』かな?
収穫しても次から次へと葉がのびてくるニラなら、ミスが重なれば農薬が検出されることがある。
それは『収穫直前の使用』と『濃度の誤使用』、さらに『加工前に洗浄しない』。この3つが重なればあり得る。
昨年の春、中国からの輸入野菜で未登録農薬の残留濃度の違反が相次ぎ、最近やっと中国も農薬に関してうるさくなってきた。だから神経症状がでるくらいの農薬量の散布はコスト的にも高いし、農家がわざわざそんな濃度で散布するのかが疑問だ。
そうなると加工時以降でのメタミドホスの混入の可能性があるのではないかと思う。
例えば…
従業員A「あ?疲れたアル。」
従業員B「ほんとアル。この会社、この辺じゃ名の通った会社なのに、賃金が安いから余計疲れるアル。」
A「毎日、毎日餃子餃子…ほんとやんなるアル。」
B「たまには他の仕事もしたいアル…あ!」
A「どしたアルか?」
B「また、ハエが餃子に飛んできたアル!」
A「ったく、手でおっぱらってもきりがないアル…あ、そうだ!」
B「?何アルか?」
A「もうさ、手で追い払うのも面倒くさいから、ハエ用の殺虫剤でやっつけねぇ?」
B「!いいアイデアアルね!早速やってみよアル!」
プシュー
A「落ちたアル、落ちたアル!」
B「やっぱり殺虫剤は効くアルねえ」
A「でもさ、なんか餃子にまで殺虫剤かかっちゃったアル…」
B「気にすることないアル。どうせ、ウチらが食べるもんじゃないし。」
A「…だな!」
…とかさ。
昨日TVで、ある専門家が言ってたが『中国の食品加工場はハード面(設備面)での安全性は日本の中小企業と変わらないが、ソフト面(人材面)の安全性は疑問。』
要するに従業員の安全に対してのモラルが低いということらしい。
まあ、これからどんどん新しい事実が出てくると思うが、各方面で色々な問題が出てくるんだろうなあ…中国だけでなく日本でもね。
今回、一番わりに合わない目にあうのは、ギョーザ業界なんだろうな…
ギョーザに対する風評被害…
応援したいが、俺ができることといったらラーメン屋で餃子注文するくらい。
餃子業界の方、がんばれ!

2007年10月02日
またまたネタを提供してくれましたよ。
『世界最大の「ネタ」産出国』中国が!
このほど中国は広州に、二大ファストフードチェーンのマクドナルド(中国名・麦当労)とケンタッキーフライドチキン(同・肯徳基)を脅かす強敵(?)が存在することが明らかになったらしい。
その名も
「マクタッキー(麦肯基)」。
マクドナルドとケンタッキーが合体しちゃってるよ!
そのマクタッキーの売りは、一つの店でハンバーガーからフライドチキンまで取り揃えてあるところ。しかも、マクタッキーの商品はすべて2社より1?2割ほど安いらしい。
さらに突っ込みどころが!
『マクタッキーの公式サイトの説明には、「マクタッキーは60年代中頃、アメリカの西部を発祥の地とし、まもなくアメリカの地方に拡がった。数十年運営している中で、一流の管理・運営方及び、一流の品質で世界各国に進出している。そして中国広州マクタッキー管理有限会社はアメリカの運営方式を導入し、中華美食と融合してきた。現在中国の各地でチェーン加盟店を募集している。」とある。』(ヤフーの記事より引用)
いやいやいや、そんな事実ないでしょう?
いや、一つだけあっているとしたら『一流』というところか。
どこがって、
パクリかたが一流
なんかさ、この『マクタッキー』ってネーミングセンス、
『ノーミン』と同じにおいがする。感覚としては上野のアメ横で売ってた「サザエボン」(「サザエさん」+「天才バカボン」)とかと同系列。
…「ノーミン」も中国製だったのか?
このマクタッキーは現在広東省広州市南部を中心に、北京市、山東省などの郊外にも展開しているとのこと。
全体的に味はイマイチといった評価で、特にコーラの味が変らしい。地元の人は基本的に入らないということ。
中国に行ったら、マクタッキーに入ってみてください。多分この情報以上の突っ込みどころが満載なハズです。
そんな中国ですが、中国人の中にもこんな人がいます。
(「iza」のnewsより引用)
『 中国でただ一人、(←これポイント)食品安全問題を追及する北京在住のジャーナリスト、周(しゅう)勍(けい)さんが1日、日本語翻訳版「中国の危ない食品」(草思社、2日発売)の出版に合わせて来日記者会見。「いまや地球は一つの大きな村。問題はいずれ全世界に波及する。外圧で、食の安全を軽視する中国の良心を呼び覚ましてほしい」と呼びかけた。
周さんは1965年生まれ。天安門事件に関係して3年間の投獄を経験し、現在は出版社を経営。02年からの食取材をまとめた同作は昨年、ドイツの国際ルポルタージュ賞を受けたが、国内では出版差し止め。アジアでの完全翻訳は日本が初めてとなる。
会見で周さんはスライドを用い、海産物や子供向け食品への禁止添加物の使用やニセ食品に対する官民のモラル欠如の現状を紹介。これらに起因するとみられる子供の異常な早熟化、男性の生殖能力低下、女性のガン多発など静かに進行する問題を指摘した。
日本でも注目された段ボール肉まん事件は、原料との価格差を示しながら「庶民が利用する屋台が問題になれば、大きな社会不安になる。(捏造(ねつぞう)報道は政府が)臨時雇いという記者の立場につけ込んだ、ぬれぎぬだと思う」と疑問を呈した。
「食の取材を始めてから外食をしなくなった」という周さんは「北京五輪に向けて多少状況は良くなるだろうが、中国で500グラム18元以下の水餃子などは食べない方がいい」とアドバイスした。』
北京オリンピックが近づいて来てます。
中国行く人はこの本を読んでから行くことをお勧めします。
俺も、この本買おうかな…

2007年06月25日
食肉加工業者「ミートホープ」の一連の偽装。
ことの発端は「牛肉ミンチに豚肉の心臓とか血とか混ぜてました」という報道から始まった。
連日マスコミに叩かれ、行政から立ち入り検査が行われると、あとからあとから不祥事がどんどん出てきた。叩けばほこりがでるもの。
「賞味期限切れ」「産地偽装」「他会社の出荷用袋の偽造」「食品添加物基準値越え」「廃棄コロッケ横流し転用疑惑」…
まだまだほこりが出そうだ。
今回の「ミートホープ」の不祥事は、食品に携わる者としてあってはならないことだ。
利益を追及して、モラルを失っている。(今の日本全体に言えることだが…)
「食」は安全・安心であることが前提。「偽装」なんて言葉はついてまわってはいけないものだ。
この事件が食肉加工業者にとって、「氷山の一角」「明日は我が身」でないことを心から願う。

2007年03月31日
『総合的生物多様性管理』(Integrated Biodiversity Management:IBM)
私はこの言葉をある一冊の本に出会い初めて知った。
その本とは『「ただの虫」を無視しない農業?生物多様性管理? (桐谷圭治 著 築地書店)』である。農業に携わる人にはぜひ読んでほしい一冊だ。
この本の内容は・・・とにかく読んで頂きたい。文才がない自分にとって、下手に書くとわかりにくくなる恐れがあるので詳しくはかけない。が、私が学んだのは、天敵や害虫だけでなく、その周りの生物や環境にも目をむけることの大切さを教えてくれた。
この本に出会ってから、畑で見つけた生物をよく観察するようになった。
また、見つけた畑の様子や他にどんな生物がいるのかも注意してみるようになった。これによって作物だけでなく、畑全体を把握できるようになってきた。
畑全体を見ることによって、害虫発生の有無が確認できるし、早期の防除が出来るようになり、結果化学農薬を半分以下、作物によっては化学農薬を使わなくても作ることが出来るようになった。
この本によって「化学農薬は本来必要ない」と強く感じることができたと思う。
さてここまで、自分でこれだけ「化学農薬は必要ない」と言い切っていて、恥ずかしい話だが、私は化学農薬を使う場面がある。
なぜかというと、自分の生活があるからだ。
「ここで化学農薬を使うと、後の化学農薬の必要がなくなるし、収量もあがる。つまりそれだけ収入がある。」となればやはり使ってしまう。
自分の理想と家族の生活を天秤にかけると、どうしても家族の生活をとってしまうのは、自分の弱さか?はたまた家族の生活を守る責任感なのか?
まあ、んなかっこいいこと言ったって、化学農薬を使っているのは事実だ。
少しづづ、少しづづ、化学農薬を使わないようにもって行きたいと思っている。
明日から新年度が始まるので、このシリーズはここで一区切りつけようと思います。
私はこの言葉をある一冊の本に出会い初めて知った。
その本とは『「ただの虫」を無視しない農業?生物多様性管理? (桐谷圭治 著 築地書店)』である。農業に携わる人にはぜひ読んでほしい一冊だ。
この本の内容は・・・とにかく読んで頂きたい。文才がない自分にとって、下手に書くとわかりにくくなる恐れがあるので詳しくはかけない。が、私が学んだのは、天敵や害虫だけでなく、その周りの生物や環境にも目をむけることの大切さを教えてくれた。
この本に出会ってから、畑で見つけた生物をよく観察するようになった。
また、見つけた畑の様子や他にどんな生物がいるのかも注意してみるようになった。これによって作物だけでなく、畑全体を把握できるようになってきた。
畑全体を見ることによって、害虫発生の有無が確認できるし、早期の防除が出来るようになり、結果化学農薬を半分以下、作物によっては化学農薬を使わなくても作ることが出来るようになった。
この本によって「化学農薬は本来必要ない」と強く感じることができたと思う。
さてここまで、自分でこれだけ「化学農薬は必要ない」と言い切っていて、恥ずかしい話だが、私は化学農薬を使う場面がある。
なぜかというと、自分の生活があるからだ。
「ここで化学農薬を使うと、後の化学農薬の必要がなくなるし、収量もあがる。つまりそれだけ収入がある。」となればやはり使ってしまう。
自分の理想と家族の生活を天秤にかけると、どうしても家族の生活をとってしまうのは、自分の弱さか?はたまた家族の生活を守る責任感なのか?
まあ、んなかっこいいこと言ったって、化学農薬を使っているのは事実だ。
少しづづ、少しづづ、化学農薬を使わないようにもって行きたいと思っている。
明日から新年度が始まるので、このシリーズはここで一区切りつけようと思います。
