A-GYO的○○論

2010年04月06日

野菜の害虫のアブラムシとかオンシツコナジラミとかってさ、何回も同じ農薬(殺虫剤)で防除してるとさ、害虫が薬剤に対して『耐性』がついてしまい効かなくなってくるものなんです。まあ、奴ら害虫にとってはこれは『進化』なのだろうと思います。

さて、今日のブログはこれを踏まえて、最近、思ってることを書きたいと思います。

最近、ファーマーズマーケットに出店者として参加することが増えたのだけれども、毎回ファーマーズマーケットで『無農薬ですか?』とか『オーガニックですか?』とか聞かれる。

うちは農薬代がもったいないので農薬は極力使わねえ』ってスタンスで、地域の平均よりはるかに少ない回数しか農薬は使ってないし、なかには無農薬栽培した野菜もある。

だけど、有機JASの認定を受けてるわけでないし、少ないとはいえ、実際農薬を使っているので、そういう質問には「うちは無農薬ではないし、オーガニックではないですよ」と答える。

そう答えると、「え?農薬つかってるんだ・・・」とか「なんだ、有機じゃないんだ・・・」ってつぶやいて去っていく方が多くいます。

まあ、「野菜を買う」という行動一つとっても、その人その人の考え方があっての判断基準があるからいいんですけどこのような一言は、農薬を肯定している俺のような人間にとっては結構堪えます。

なんか、『農薬は悪。有機野菜が正義。』みたいな感じを受けてさ。

個人的に、ぶっちゃけて言うと、「有機だろうが、農薬使っていようが野菜は野菜だから、関係なくね?要は美味いかどうかじゃね?」って俺は思うんだけれども、『有機信仰』ってのかな?「有機野菜は身体にいい!」って本当か嘘かもわからない思いこみで有機のほうが好まれるらしい。特に、こういうファーマーズマーケットの場合はね。

まあ、「お客様の求めているものを作る」ってのは商売の鉄則なのだけれど、そういうお客様偏重だと、うちのような弱小農家にとってはバランスの悪い経営となってしまうので、今後も有機JASを認定されるような栽培方法をとることはないだろう。(多分ね。)

あ、話戻します。

本日は特に「農薬は身体に悪い!」「有機野菜は身体にいい!」ってことを本気で思っている方に考えてもらいたことが。

例えばの話。

今から遠い未来、全人類が害虫の進化による未曽有の食料危機に陥ったとしよう。

そして、手に入る食料はすべて、農薬を使っている野菜。


そういう状況の時に、先祖代々『農薬を使った野菜だろうが関係なく食べてきた』Aさんと、先祖代々『両親とも農薬を使ってないものしか食べこなかった』Bさんが農薬を使っている野菜を食べた。

すると、Bさんだけ死んでしまった。

Aさんは全く健康被害が出ていないのに、である。


どういうことかって?

ここで本日の冒頭に書いてあった害虫の進化のことを思い出してほしい。

『・・・害虫が薬剤に対して『耐性』がついてしまい効かなくなってくるものなんです。まあ、奴ら害虫にとってはこれは『進化』なのだろうと思います。』

俺の言いたいこと、わかりますか?

つまり、先祖代々農薬を使った野菜を食べ続けて農薬に対して『耐性』を手に入れた人として進化したAさんと、農薬に対して『耐性』をもたない進化していないBさん。


人間が生き残るすべとして正しいのはどちらの祖先ですか?


もっとも、これは超極端な話だし、現実的にありえねえかもしれないが、人間が害虫と同じように子孫を産むことで『種』の維持をしている限り、100%ありえねえ話ではないのである。


だから、『有機野菜しか食べない』って有機信仰の方に言いたい。

「農薬を毛嫌いしないで、有機野菜だけでなく、普通に農薬使った野菜も食べてほしい。」

自分だけならいいけど、極端な『有機信仰』ってのは自分の子孫のためには必ずしもならないのだから。


まあ、ようするに、俺が言いたいのは『何でもバランスよく食べろ』ってことです。

そして、食材の『美味しさ』ってのは食材そのものの味よりも、食べる環境が大きく影響するってことを知ってほしい。

ケンカしながら一流レストランで有機野菜のサラダ食べるより、家族でワイワイ言いながら、普通にスーパーで買ってきたサラダ食べるほうが美味しい、健康的でしょ?

もちろん、食材をこだわるのもいいのだけれど、食事をとる環境にもこだわってほしいなと。

これが大事だと俺は思います。

ちょい話しそれたけど、俺の言いたいことはこんな感じ。

まあ、何でも『バランス』ってのは大事ってことです。


さて、今日も『バランス』とりながら気合い入れて仕事しますか!
んじゃ、行ってきます!!





A-GYO(エイギョウ)agyonoudennki at 06:40│コメント(9)トラックバック(0)

2010年03月24日

ごめん、先言っときます。

今日のネタは久しぶりに人間に対して愚痴るんで、「えー!?A-GYOの人間に対しての愚痴なんか聞きたくねーよ」って人は読まんといて(笑)

「愚痴?聞く聞く!」っていう人、それとA-GYOという人間の腹のなかをちょっと覗いてみたい人は読んで。





じゃ、本題いきます。


例えばさ、

ある人間がその組織全体で決めたルールを散々破っといて、その人間のルール破りが原因で、よりルールをキツクすることになったのに、逆切れしてくるのって皆さん、どう思いますか?


どんな組織でもルールってのがあります。


そういうルールを文章化して、みんなで納得して、その組織を運営しているわけなんですが、そのルールを破るってことは、その組織の運営を妨げるってことです。


んで、俺の所属している某組織で、ルールを守らなくて、皆が困ってしまっている人間がいましてね。


前回話し合いにならなかったので、今回、皆の総意で、俺が文章化して、わかりやすく、その組織の皆に「ルール守らねー奴に対して厳しいルールを設けよう」と提案したんです。

その提案を大雑把に言うと、「ルールを厳守しねえ奴に注意・勧告を行うが、それでも厳守しねーなら組織をやめさせられる。」ってこと。


これは組織に所属している人間の大多数の意見。

もちろん、そのルールを守らねえ人間をやめさせるのが目的ではなく、ルールを守らねえ人間にルールを守ってほしいから。


車の運転で例えるなら、「お互いの安全のためにルール守ってね。ルール守れなきゃペナルティだよ」って道路交通法みてえな提案です。


んでだ、いざ、これを提案すると、ルールを散々破ってきた人間が一人で騒ぎ始めました。



今まで散々ルール破っといて、周りに散々不利益を被らせているのに、今までのことを認めず、謝りもせず、人の話も聞かず、しかも「ルールを守ってんだろーが!」って逆切れ。



しかも、それだけに収まらず、それを文章化して提案した俺に対して、その人間は罵声・恫喝を浴びせてきました

※()内は俺の腹の中の声。


「こっちは仲良くやろうとしてるのに、そんな提案してくるなんてお前は態度がデケエんだよ!」

(ええ、それはわかっていますが、態度がでけえのは、あなたも同じ。)


「俺の地域で、他の地域のお前が出しゃばんじゃねえ!」

(その組織の立ち上げの時に、地域関係なくルールを守れるものがその組織に入ったんです。その組織のルールを守らねえその地域の人間と、その組織のルールを守る他の地域の人間。どちらがその地域に受け入れられんでしょう?)


「このルールを通すんだったら、100年でも200年でも、あんたのことを恨むからね!!」

(↑あ、これは前回の会議の時、ルール守らない人の奥さんに言われた言葉です。)


(論点ズレズレ。逆恨みもいいところです。)



まあ、こういう罵声・恫喝を浴びせられることは予想できたし、どんな罵声・恫喝を浴びせられようと、黙ってグッと堪える覚悟もして、その組織の会議に出たので、怒りが湧くどころか、笑えてきました。

黙って言いたいことを言われている、そんな俺を見て、提案に賛同してくれる組織の大部分の方たちは、「それは違うだろう」と言ってくれました。

組織の運営のために、ルールに同意して、ルールを守って、その組織に受け入れられている俺。

自分のためにルールを散々破ってきて、その組織から受け入れられなくなっていく人間。


ルールが存在する組織の中で、どちらが正しい生き方でしょうか?





結局会議は、ルールを今まで散々破ってきた人間が一人「あーだ、こーだ」といって、会議時間終了。
この議案は、次回の会議に持ち越されました。

今回なぜ、「ルール守らない場合のペナルティ」が今議題になっているのか、ルールを守らない方には理解できないのでしょうか?

あなたが原因なんですよ?

まあ、理解されてないから(もしくは、理解してても自分に不都合な議題だから、騒いでうやむやにしようとしているからか)、上記のような発言ができるのでしょうけど。

ちなみに、そのルールを守らなかった人間は「ルールの改正は組織の全員の一致が必要だ!」って言ってましたが、そんなことは、今までのルールの中に書かれていません。

ルールにあることは守らず、ルールにないことを持ちだす。

さて、民主主義は多数決の世界です。

次の会議のため、ルールを守らない人間にルールを守らせるため、自分が何ができるかを考えて、実行したいと思います。



最後に、散々罵倒・恫喝された俺の腹グロ~い重い想いのこもった一言言わせてください。


「私を敵にしないでくださいね。」
(笑)



本当、これ読んでくれた人、腹黒くてごめんね。あとこんな愚痴見てくれてありがとうございます。

ブログに書いて、ちょっとすっきり(笑)(これもブログのいいところだ。)


さて、気分を切り替えて、今日も頑張りますか!じゃ、行ってきます!!


A-GYO(エイギョウ)agyonoudennki at 06:58│コメント(10)トラックバック(0)

2010年01月14日

俺さ、今まで、「補助金なんざいらねえ!」とか「補助金もらったら経営的に負け!」とか散々ほざいてきました。

が、先日あることをきっかけに色々考えまして、『納税した金額の範囲内で補助金を使おう!』って考えに至りました。

そうです。脳内の政策転換します!

なんで、あんなに補助金を毛嫌いしていた俺がこんな風に考えるようになったかというと、年始のあるニュースを見てて。

そのニュースとは、

「年越し派遣村。交通費をもらって消えた。」

まあ、ご存知の方も多いと思いますが、年越し派遣村にいた、数十名の不届きな輩が、就職活動用に支給された交通費(二万円だっけ?)を貰うなり、何も言わずに村から消えたというもの。

他の報道だと、支給されたお金を酒やたばこに使っている輩もいるとか。

もちろん支給されたお金は税金。

これみてさ、なんかこう腹に湧き上がるものがありまして。

税金納めてもそれが有効に使われていない場面を過去に何度も見てきたけど、ここまでの感情はなかった。

んで、俺考えたんさ。


こんな税金の使い方されるくらいなら、俺が税金使って稼いで、さらに国に税金払ったるわ!と。


よく考えたらさ、上原農園はそれこそ、『税金』を『年貢』と呼んでいた時代から納税してたわけじゃん。

だからこそ、その納めた税金やその使い方に対してもっとシビアにみるべきだったんだよね。

もちろん使う補助金は、「補償」とか赤字分の補填とか、そういうネガティブな種類の補助金ではなく、農機具を買う時の投資として補助金、経営をさらに軌道に乗せたいという、ポジティブな補助金の種類だけを使おうと思います。

んで、納めた分より多く補助貰っても仕方ないから、『納税した金額の範囲内で補助金を使おう』と思います。


今年から、俺、補助金使う使わないを感情論だけで見るのはもうやめて、
リアルに、したたかに腹黒く、黒字経営論として補助金を使っていこうと思います。

もちろん、補助金使った分だけ収益あげて国に納税します。
貰うだけ貰って返さないんじゃ、詐欺と一緒だからさ。


さて、覚悟決めたことだし、2年以内に補助金使ってビニールハウス建てるか!

これから、補助金の勉強しようっと!

さ、腹黒いA-GYOの一面を見せたところで仕事行きたいと思います。

じゃ、行ってきます!!



A-GYO(エイギョウ)agyonoudennki at 07:56│コメント(2)トラックバック(0)

2009年10月13日


昨日、市内にある種屋Yさんに種を買いに行った。
今日はそのYさんが話してくれたことをネタにしようと思う。

今年の夏休みの初めのこと。
ある小学生の男の子A君が、夏休みの自由研究で野菜を育てたいとその種屋Yさんに相談に来た。

夏休みは約40日にと短い。
生育日数を考えたら、「『二十日大根(ラディッシュ)』か『小松菜』ぐらいしか出来ないよ」とYさんは答えたが、A君は「インゲンがいい」と譲らない。

話しぶりから、A君は「自分なら夏休み中にインゲンを作ることがで絶対出来る」という自信があるらしい。

そこでYさんは、彼を試すためにひとつの質問をした。
「インゲンの種はどのくらいの深さに播けばいいと思う?」

するとA君は「5cm」と答えた。

それを聞いてこうYさんは言った。

「5cmも深く播いたら、種は発芽しないよ。いい?インゲンは大体収穫まで60日ぐらい必要なんだ。自分の技術どうこうではなく、インゲンが食べられるまでの日数はインゲン自身が決めていること。人はその手伝いをしているだけなんだ。もし、どうしてもインゲンを育てたいなら育て方を教えるけど、夏休みの期間中は食べられないよ?それでもいい?」

A君は少し考えてから、インゲンの育て方を聞いて帰ったという。

2か月後。Yさんの元にA君から手紙が届いた↓

56da6cad.jpg


そこにはA君が撮ったと思われるインゲンの写真と、「豆、芽が出たのがはやくてびっくりしました。やはり、2学期になり実がなりました。ありがとうございました。」と添えられていた。

Yさんは言った。
「A君は今回非常に大切なことを学んだと思うよ。」



最近、教育の分野では「食育」というものが一つのブームとなっている。

そして子供達は様々な「食育」を学んでいる。「無駄のない料理の仕方」や「食べ物の栄養知識」などがそうだ。

でもね、子供達にとって一番大切なことは、自分が食べているモノがどのように育てられているかを知ることだと俺は思う。

今はスーパーに行けば大抵の野菜は揃う。
でも、それがどのように栽培されているかを知ってる人は、そんなに多くはない。

先述したA君もそうだった。夏休み中に種を播いてインゲンが収穫できると思っていたのだから。
でも、実際はそうじゃなかった。

今回インゲンを育てることで、そういうことを学んだA君は、本当の意味でインゲンというものを知ったと思う。


俺が思うに「食育」とは、自分の食べ物について深く知るということだ

『深く知る』ということは、野菜だったら種まきから収穫まで、肉だったら誕生から殺すまでだ。

そういう食べ物を作っている現場のことを知ることが「食育」を語る上で大切だと思うし、また食べ物を作っている現場を知る機会がもっと増えるといいなと俺は思う。


最後に一つ。
俺の母校、東京農業大学の大根踊り(青山ほとり)の歌詞の中にこんな一節がある。

「お前達や威張ったって知っちょるか お米の実る木は知りゃすまい 知らなきゃ教えてあげようか おいらが農場へついてこい」


食育を語るならまず農場へ。

そして農業人も農場を語れ。



俺は今後もブログや小学校の課外授業を通して現場から情報を発信したいと思います。それが俺のできる『食育』だと思うから

さて、今日もいい天気!
大根収穫も始まったので、気合いを入れていきます。
んじゃ、行ってきます!!


at 05:28│コメント(4)

2009年06月05日


悪夢を見ると凹むよね。
その悪夢が闘牛に追われる夢だったりすると、凹むよね。
んで、追いつかれて、まさに角が尻に刺さった瞬間ビクってしながら目覚めると、凹むよね。
そのビクってのが原因で子供が機嫌悪そうに泣きながら目覚めると、凹むよね。
んで、機嫌悪そうに泣く子供の泣き声で、これまた機嫌悪そうに起きた妻に舌打ちされると凹むよね。

…でさ、

その場面で目が覚めて、「今までのが全て夢だった」って時、ホッとする反面、なんか凹むよね。

悪夢から起きると悪夢だった。
悪夢の2段夢落ち。
正直、朝からテンションが微妙です(泣)

ども、時々悪夢を見ては泣きながら起きるA-GYOです。
ちなみに、夢の中では走っても息が切れないのに、現実は走るとすぐに息切れするということを知るとさらに泣きたくなります。体力つけなきゃな?…


さて、こんな微妙なテンションの頭で、昨日はアメリカのオバマ大統領がイスラム世界に向けて演説したので、今日はちょい俺の宗教論を語らせてもらいたいと思います。

先に、言っておく。

俺は特定の宗教を持たない。

宗教って言ったら、どれも同じに見える。

学生時代、一人暮らししてるとさ、時々「あなたは神を信じますか?世には戦争が満ち溢れています。今こそ神と共に平和を目指しましょう!」的な勧誘が回ってくるわけです。

そんなとき俺は彼らにこう言います。

「いや、戦争の原因の8割は宗教間の対立が生んだ宗教戦争だから。みんながみんな宗教やめれば、少なくとも世界の紛争の80%はなくなるんじゃね?神に頼る前に、もっと自分自身を信じて生きてみれば?」

当時の俺は本当に嫌な奴だと思います。
チョイ危険な宗教団体だたら、拉致られて洗脳されてそうです。

でもさ、ぶっちゃけ、宗教なんて「自分の信じるが一番」なもんなんです。
それに人間、どうしようもならない事象にぶち当たと、とりあえず神や仏に拝んじゃうもんなんです。
俺だってそうです。
だから俺は宗教ってのは、一種の精神安定剤だと思っているわけです。
あとそれが多くの人々の生活に溶け込むと、文化になるわけです。
オランダで一人アウェイなクリスマス・イブを過ごした時にそう思ったわけです。

まあ、精神安定剤だったり、文化になってりゃ、それはそれで、宗教はあってもいいのもだと思う。上っ面の付き合いならね。

でもね、宗教にのめり込んじゃうとさ、周りが見えなくなる。
んでさ、宗教によっては「神のために自爆します」的な行動をとっちゃう。
テロ組織の指導者たちが言ってるじゃん、「これは聖戦。みんな神に自らの命を捧げよ。」とかさ。

ぶっちゃけ、そんなに「神のための死」を勧めるんだったら、指導者自ら自爆しろって話ですよ。

それを指導者がやらないわけでしょ?結局自分の地位を守りたいだけなんでしょ?結局、宗教を利用して自分の生活を守ろうとしてるわけだ。


俺さ、基本「実在する人間が教祖になっている宗教」はあんまり好きじゃねえ。
キリ○トとかさ。

だってさ、人間は人間じゃん。

人間、なんのために生きているかって言ったら、神や仏のために生きているんじゃねし、ましてや『自らが神や仏になるため』に生きるものじゃねえと俺は思う。

じゃあ、何のために生きてる?

答えは簡単。

『種』を持続させるために生きてる。

他の生物と一緒。動物だろうが、植物だろうが、自分の『種』を次世代に伝え、自分の種が絶滅しねえよう進化したりして生き残ろうとしている。

人間ぐれえだ、そういう『生きてる理由の大前提』を忘れがちに生きているのは。
それを忘れるから、人間という『種』同士で、自らが作り出した色んな「精神安定剤」が好きか嫌いかで争うわけだ。

思想が違っても、身体の作りはほとんど一緒。人間は人間。それ以上でもそれ以下でもない。死んじゃったらそれで終わり。

宗教やっても、やんなくても、その人の自由。

でもね、人間という『種』を次世代に伝えることだけは、忘れないでほしいと思う。


まあ、こういう考えも、他人から見たら宗教っぽいのかもしれんがね


はい、俺の宗教論ってか、宗教観はこんな感じ。

朝から悪夢みたり、宗教論なんつー難しいことに頭使ったから、今日はあんまり物事深く考えず、仕事に集中しようかな?

さて、雨降ってきたみたいだけど、仕事はある。
今日もいっちょ頑張りますか!
行ってきます!



at 05:21│コメント(12)