2007年05月27日
今回は農政と微妙に関係する「ふるさと納税構想」について。
現在、地方自治体の予算は火の車。住民が求めている公共サービスや農村の美しい景観の維持にはそれなりにお金がかかる。ましてや地方交付税が削減されている現状ならば、「自分の故郷に税金を払って故郷を盛り立てよう」なんて構想が上がってきても不思議ではない。不思議ではないが、
安直過ぎないか?
そもそもふるさとの定義は何?生まれたところ?それとも育ったところ?自分が故郷と思うところ?
定義がよくわからないが、仮に生まれた場所を「ふるさと」として考えて、実際「ふるさと納税」が現実のものとなったら、こうなるんじゃないかなと想像してみた。
Aさんは生まれも育ちも、埼玉県入間市。周りを茶畑に囲まれた家で生まれ育った。両親は特産である狭山茶を製造販売するお茶屋さん。
成人したAさんは家業を継がず、サラリーマンとなり、Bさんと結婚し都内の世田谷で暮らしている。
ここで「ふるさと納税」が施行され、Aさんは故郷である「入間市」に「ふるさと税」を毎月払った。
Aさんのように、入間市を出て都内で暮らす人々は多い。それまで厳しかった市の財政も「ふるさと納税」によって豊かになった。
しかし30年後、人々はこの「ふるさと納税」が失策だったことに気づくのだ。
30年後、Aさんは退職し、都内で悠々自適の日々。自身の収入がないため、ふるさと納税は免除されている。
Aさんの息子Cさんは生まれも育ちも世田谷。つまり故郷は「世田谷」ということになる。Cさんもサラリーマンになって世田谷に両親とは別の世帯をもち暮らしている。Cさんは「ふるさと税」を世田谷に納税する。世田谷は財政が潤う。
では、同じく30年後の入間市はどうなったであろうか?Aさんのように退職し、都内で暮らしている人は多い。そして収入がないので「ふるさと税」は免除。
そうなると入間市は「ふるさと税」が激減し、財政が厳しくなる。それまで「ふるさと税」でまかなっていた公共サービスが維持できなくなり、狭山丘陵などの景観保護に資金が行き届かず、森がどんどん荒廃していく。
そして、都市と地方の差は今以上に広がっていくのであった。
この「ふるさと納税構想」、もし施行されたら将来間違いなく「愚策」と評されるであろう。
なぜなら今の「地域格差」をただ先延ばしにするだけの、場当たり的な施策だからだ。
総選挙が近い。地方の1人区の議席がどうしてもほしい。地方自治体の喜ぶことをすれば票がとれる。「ふるさと税」を作れば地方の財政は潤う。比例代表で票がとれる。
…安直な考えすぎて涙が出てきます。
もしも「ふるさと納税」が現実となったら、今現在の各都市の人口分布が、そのまま30年後の「ふるさと税」の大小となります。
つまり、都心は人口が多いため財政は潤うが、過疎が進む農村地域は財政破綻。
すべてのしわ寄せは地方へ。まさに地域間格差が広がります。
仮にこの「ふるさと納税構想」が現実なった場合、愚策と気付くのは30年後。
きっと、この「ふるさと納税構想」を現実とした政府や与党のほとんどの人は、棺桶に片足突っ込んでる御歳頃なので、「自分たちは知らないよ、後の者がなんとかしろ」って感じでしょう。
さらに何がきついって、一度できた税金てのは、まず廃止になることはない。最悪、国の予算に一元化される可能性だってある。そうなったら元も子もない、ただの「増税」。
国政だけでなく、農政もそうだが、「国際社会に後れを取る」とか「選挙に勝つため」とか、本当にどうでもいい、つまらない理由で、深い議論もせず政策を決めるのは「愚」です。
国の政策は「国際社会」や「選挙」よりも、まず「自国」のことを最優先して考えるべきものです。
その辺少しは某国を見習ってもいいかもね。どことは言いませんが…
「ふるさと納税」、地方の農村地域にとって勝たせるだけ勝たせて、後で一気に巻き上げるイカサマ博打のような政策に見えてくる。
政策を見るときは、10年、20年先のことまで考えないといけませんねぇ
息の長い良策を作れる政治家は素晴らしいと思います。