2007年06月21日
通夜の前日、方丈様(お坊さま)がわざわざじーさんに御経をあげに来てくれた。
この方丈様、ばーさんの時もひいじーさんの時も葬儀で御経をあげてくれた人物でもある。
一通り御経を済ませ、方丈様と家族で故人の話をしていた時のこと。
父が「故人は生前よく働く人で、畑にも毎日行っていた。」と話すと方丈様は次のような話をしてくれた。
ある位の高いお坊様がいた。このお坊様、高齢であるにも関わらず、毎日のように畑へと通っていた。
畑はきれいに管理され、雑草一本もない。にも関わらず毎日そのお坊様は畑に通う。
弟子達は高齢であるお坊様の健康を案じ、「畑には草も生えていないから、そう毎日畑に行かなくてもいいんじゃないですか。もっと体をいたわって下さい」と言った。しかし、お坊様は畑に行くのをやめなかった。
お坊様の健康を考えるあまり、弟子達はお坊様の農具を隠した。農具がなければ畑には行けまいと思ったからだ。
案の定、農具がないので、お坊様はその日畑には行かなかった。弟子達はほっと息をついた。
しかしその日の夕食のとき、お坊様は夕飯に手をつけない。不思議に思った弟子達はなぜ夕飯を食べないのかとお坊様に聞いた。
するとお坊様はこう答えた。
「働かざる者食うべからず。」
弟子達は言った。「そんなこと言わずに食べてください。それに、雑草一本生えていないのだから毎日行かなくてもいいじゃありませんか。」
するとお坊様はこう答えた。
「上農(じょうのう)、草を見ずして草をとり。中農(ちゅうのう)、草をみて草をとり。下農(げのう)、草を見て草をとらず。
私は毎日上農をしているのだ。草が見えなくとも草はある。」
弟子達は反省し、すぐに隠してあった農具をお坊様に返した。お坊様はにっこりとして、夕飯を食べ始めた。
ここまで話して方丈様は、一息つき、続けてこう言った。
「故人は上農をしていたのでしょう。」
生前のじーさんは雑草が嫌いだった。畑に少しでもあると、一人でこつこつ草を抜いては、じょれんで土を動かしていた。またたとえ草が生えていない場所であってもじょれんで作物の間の土を動かしていた。
じーさんは「雑草は生やしてもいいが、種を落とす前に除草しなさい。」とよく言っていた。じーさんは上農だろう。
はたして自分はどうだろう。…下農。まあ良くて中農だろう。
私はこんな失敗をしたことがある。
農業を始めたばかりのころ、私は自然農法を勘違いして実践していた。
自分では「自然に任せておけば勝手に作物ができるものなのだ。」と思いこみ、カボチャを定植したあと、畑にも行かなかった。
結果は雑草に負けカボチャは消え、畑は雑草だらけになった。
このときはじーさん及び父に「これは自然農法じゃなくてただの手抜きだ!」と喝を入れられ、ものすごく反省した。
それ以来、自分の管理している畑を見回るようになった。
草だらけになった畑は、未だに草が生えやすい畑となっている。草の種が落ち、それが未だに発芽しているのである。
じーさんが言っていた「雑草は生やしてもいいが、種を落とす前に除草しなさい。」という言葉は、自分にとって、いや農家にとって大切な名言だと思う。
農人たるもの上農であれ。
上農目指して畑に行こう。