2012年11月07日

飽和状態で停滞した業界において、その業界を活性化するには、新しい切り口の新規参入をどんどん参入させて既存のイマイチな業態を淘汰させる方法もアリなんじゃないかな?
少なくとも飽和状態の業界の質を上げたいのなら、新規参入を排除しちゃダメだと思うんだ。
新規参入を拒む空気が漂う業界は必ず衰退していくからね。

・・・って田中眞紀子文部科学大臣の新規大学申請不認可問題を聞いて思った。


まあ、教育業界と農業業界では違うのかもしれないけどさ、「少子高齢化」ってのはどの業界にもこれから大きな影響を与えてくるとおもうんさ。いや、もうすでに影響出てるのかも。

さて本題。

十年先、二十年先のこと考えるときには避けては通れない「少子高齢化」、そして「人口の減少」という状況。
これを踏まえたうえで、今後の農業経営ってのを考えていかなきゃいけないと思うんさ。

特に人口が減る=食の消費量が相対的に減るわけで、そこに今までと同じだけの物量突っ込んで、今までと同じだけの利益が出せるのかは非常に疑問だよね。

だから、今のうちから『次』の戦略たてたり、新しい農業経営スタイルのカタチを作り始めたり、今は出来なくともアイデアの種を播いとく。そういうことが「持続可能な農業経営」に繋がっていくのかなと。

そう考えるとさ、「農業=生産」という第一次産業だけじゃかなり厳しくなってくると思うんだよね。
生産だけで生き残ることができるのは、「大規模化」、「寡占」、「輸出」という選択肢ぐらいじゃないかなと。

じゃあ、俺みたいな弱小都市近郊農家はどうすればいいか?

今流行りの『第一次産業(生産)×第二次産業(加工)×第三次産業(サービス)=6次産業化』に乗るか?

いや、正直、第2次産業=加工っていうのは、俺が簡単に手を出せるようなシナモノではないし、俺自身が加工に手を出すことの出来る『器』じゃない。

それにさ、今、国が音頭とって6次産業化を進めてるということは、それだけ加工に手を出す農業経営体の絶対数が増えるわけでさ。
その清濁混沌とした中に飛び込んで生き残るだけの技術と情熱は、今現在、俺は持ち合わせてない。

そう自分の『身の程』を評価している俺は今後どうすればいい?


それなら第二次産業じゃなくて、第三次産業に力を入れた、つまり「第一産業(生産)+第三次産業(サービス)=4次産業化」に集中してさ、今自分の置かれてる状況をフルに活用するような戦略で農業経営のかじ取りするのも手だなあと、今現在思ってたりする。

もちろん、状況が一変すればこの考えた方も大きく変わると思うんだが、「自分に合った農業経営」をモットーとしている俺にとっては方向性は間違っていないと思う。つまりは今俺ができることは、「加工には手を出さない」&「ニーズに合った農業経営」を行うことかなと。

「ニーズに合った農業経営」、これは自分の今置かれた状況を知る=身の程を知ることから、色々視えてくる。

視えてきたものをカタチにするにはちょっと時間がかかりそうだけど、まあ、10年、20年先にはそういう方向に向かって進んでいかなきゃなと思ってたりする。

何するの?

内緒(笑)


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2012年10月24日

最近facebookで「農家に家訓はあるが、経営ビジョンがない」とのコメントを見かけた。

確かに農家の家訓ってのは、経営ビジョン(つまり『目的』)が明確でないと充分に機能しない。

なぜならば、農家の家訓ってのは経営ビジョンを達成するための方法・手段でしかないからだ。

うちの家訓「時代にあった経営をしろ」や「上原家の長子たるもの25歳以内に所帯をもたなければならない」などもそう。
全ては『続ける』という目的のための方法論・手段でしかないのだ。
『目的』なくして『家訓』意味なしってことさ。

将来(目的)をしっかり見据えておかないと、どんなことでも『芯』の通った生き方に繋がらない。
だから大雑把でも「目的」を設定してから動き出した方がより良い生き方に繋がっていくんだと思う。


先日の茨城で来年度ヨーロッパで農業研修する研修候補生達の前でも話したことなんだけどさ、「海外に行くことを目的にすんな!帰国後、どういう自分になりたいのかを明確に考えてから海外農業研修にいけ!」ってこともこれと同じことなんだよね。

俺の場合は「120歳まで生き抜く」ってことが根底にある『目的』で、それを達成するためには何ができるか?ってことを常に考えて生きてる。

120歳まで生き抜くなら、それを実現するためには何ができるのかな?

一つの方法として、人間という生物に生まれたからには、自分の子孫を増やしたいってところは抑えておきたいよね。

じゃあそれを実現するために、一つの方法として、所帯もってしっかり子供たちを育てなきゃね。

子供たちをしかっかり育てる方法の一つとして、ある程度のお金必要だよね。

お金稼がなきゃね。どうやって稼ぐ?稼ぐ方法たくさんあるけど、やっぱ自分がやるなら好きな農業やりたいよね。

じゃあ、農業でどうやって稼ぐの?

ここで、最初の「農業経営ビジョンの明確化」ってのが必要になってくるわけ。

まあ、早い話、農業やってる事さえ、俺の「120歳まで生き抜く」ってことを達成させるための手段・方法論でしかないわけです。

だから、農業でやっていけなくなったらそれはそれで仕方ないって割り切れるし、次どうしたらいいだろう?って柔軟な考えが出来る。もちろん『120歳まで生き抜く』って太い『芯』の枠内での行動になっていくんだろうけどね。

自分の人生の目標を明確化すると、やるべきことはおのずと見えてくる。
だから人生も楽しくなってくる。

人生進むべき道が見えない人、とりあえず「120歳まで生き抜くにはどうしたらいいか?」ってことを考えてみれば?
考えれば、今自分が進みたい道ってのが見えてくるんじゃないかなと俺は思います。


おまけ

あ、ちなみに「120歳まで生き抜く」って目標は本当に思いつきで決定したもの。根拠はないよ。

今は「120歳まで生き抜く」ことと同時に「恐妻よりも一秒でも長く生き抜く」ってことも目標。
そうじゃないと安心して永眠出来ないからさ(笑)


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2012年10月10日

昨日、『ソトコト』という月刊誌の取材を受けました♪何でも『ソトコト』の12月号で若手の農業者特集をするということで、そのその若手農業者の一人として取材されました。w
掲載号は12月号(来月11月5日発売)なので、もしよろしければ書店やコンビニなどでお手にとってくださいね♪

さて、本題。

最近、講師やら雑誌の取材などで自分の農業のことを人に話すことが多くなったおかげで、それまで漠然としていた、正確にはまとまっていなかった「現時点での自分の農業経営の方向性」が自分の頭の中で明確になってきた。
伝えたいことが明確じゃないと人に伝えるのは難しいからさ。
人に伝えたいがために頭の中を整頓できたのは自分にとって大きなメリットだ。

と、いうわけで、頭の中が整理できてるうちに、今日は現時点での農業経営の方向性について思っていることをざっと書いてみようと思う。多分乱文になるがご容赦を。


まず、自分の農業やってる場所「都市近郊」という立地を活かした『地域密着型農業』。
販路は自宅から半径15km圏内のスーパーの地場野菜コーナー。
そこで、『鮮度』に特化した販売戦略を組み立てる。
鮮度が特に重視される品目をピックアップし、それらを上手く栽培計画に練り込み、1年365日常に何かしらの農産物を出荷できる形態を構築する。

『鮮度』に特化した経営のカタチをより効率化するために、当分の間は加工品(第2次産業)には手を出さない。
だから、いま盛んに言われている『農業の6次産業化』は目指さない。
しいて言うなら「生産」の1次産業と「顧客への情報サービス『など』の提供」の3次産業を足した『農業の4次産業化』を目指す。


地元のお客様のニーズに対して自分なりに応えていくことが地域密着型農業では大切なこと。
販路を外に求めるもの良いが、まずは自分の地元に目を向ける。探せが大きなチャンスがある。
だって『都市近郊』って立地はすぐそこにお客さんがたくさんいるんだから。
このカタチが現時点での『都市近郊農業』の生きる最良の道なのかなと。

作物は適地適作が基本中の基本であるように、農業経営もその土地に合ったやり方がある。
だから全国一律のやり方したって非効率的だし、みんな同じことやったら結局は潰し合いになっちゃう。
だから『生き残る農業経営』ってのは、他人が用意したものではなく、自分で苦労しながら創りあげていくもんだと思う。

自分が創りあげることで、自分に合った経営スタイルってのができる。
それが楽しくストレスなく、長~く農業経営やっていけるコツなのかなと。

俺は農業という大きな枠の中で柔軟に臨機応変に変化する農業経営のスタイルが、一番最強の農業経営スタイルだと思う。

自分だけの農業経営スタイル、皆さんも一回探してはいかがですか~♪



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2012年10月05日

去る10月3日、農家のこせがれネットワーク主催の「こせがれ限定交流会」にゲストとして参加しました。

集まったのは農家のこせがれ&こせがール(親や親類が農家)総勢10名。
スタッフ銀鏡さんの手作り料理を食べながら、代表宮治さんに見守られながら(笑)、その方達の前で、自分の今までの農業経営とこれからの農業経営、そしてこせがれの方達へのアドバイスなどを話させていただきました。

あー緊張したw

言葉は拙いけど、自分の伝えたいことはなんとか話せました。
あとは話を聞いてくれた「こせがれ」の方達が、俺の話をそれぞれのなかで咀嚼して必要なとこだけ血肉にして頂ければ本望です。

俺の話を真剣に聞いてくれたこせがれ&こせがール方、またこういう機会をくださった代表の宮治さんとスタッフの銀鏡さんにこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。


さて、今回の話を考えるにあたって、非常に良かったことは、それまでの自分の歩みとこれからの方向性ってのを文章にして客観的にまとめたことで、それまでのこと、これからのことを頭の中でしっかりと整理出来たことです。

だから多分、今回のこせがれ限定交流会に参加して一番良かったのは俺だと思う。(爆)


お話しさせていただいた内容でこせがれの方にアドバイスしたことは自分にも当てはまることもありました。
特に『身の程を知る』ってこと。

今の自分の好きなこと、嫌いなこと、出来ること、出来ないこと、やりたいこと、やりたくないこと、何を優先し、何を後回しに出来るかってことなど。そして、自分の今置かれた環境を客観的に知って、それらを組み合わせて自分にあった『農業のカタチ』ってのを考える。

これは、これから就農考えてる人だけじゃなく、農業やってる俺も、毎日自問自答して考えなきゃいけないことだ。
例えば「今出来ないこと」でも、その時置かれた自分の環境の状況次第じゃ「やりたいこと」になり、「今出来ない、でもやりたい」ってことを「優先する」って判断をする場合だって有り得るのである。

主観的な自分と客観的な自分。
それを組み合わせることによって自分なりの『農業のカタチ』ってのが生まれてくるんだろうと思う。

農業ってのはこれやったら「常に大成功」するってマニュアルはない。
なぜならマニュアル化された時点で『それからの大成功』はなくなるからだ。

常に変化する環境、社会情勢、それらの「時代」に合わせながらも「自分」にあったことをする。

それが上原家家訓

『時代に合った、自分にあった農業経営をすべし。』

ってことです。


俺は『農業』って大きな流れの川の中を、色々柔軟に動き回る『亀』でありたい。

そんなことを考えた帰宅途中の電車の中でした。



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2012年08月10日

走馬灯

【意味】

①中に灯りをつけて回転させると周りの紙に影絵が次々に写る仕掛けになっている灯籠。


②人が死に際に過去の自分の映像(思い出)を見ると言われている現象のこと。



2012年8月10日、俺、33歳にして、



走馬灯を初体験しました。



それは葉物の種を播こうとトラクタ(乗用型の耕運機)で畝立てしてた時のこと。



ちょいとした段差がきっかけでトラクタの前輪が浮き上がり、


俺、


トラクタでウイリー走行☆


ハンドルに必死にしがみ付く俺を背中に乗せ、


フロントを天に向け直立しながら耕し進むトラクタ。


このままロケットダイブして空を耕しに行く勢い。


NASA聞こえますか?今から入間市からトラクタが打ち上がりますよ~☆


いや、いや、いや、今の俺の置かれた状況は宇宙飛行士なんかじゃねえ、


馬に振り落とされそうになってるロデオライダーのそれだ。


止めようにもハンドル放したら落下確実。

もし落下すれば、バランス崩した重さ数百キロの鉄の塊に潰され

『圧殺』。


もしくは、



先日の健康診断で、

「綺麗な内臓ですね」と褒められた臓物を、



トラクタのロータリーの刃で耕され

『耕殺』。


真っ青な夏の空を見ながら、そんな最悪のシナリオを想像したその時、
パッと恐妻と子供達の顔が思い浮かんだ。

んで、その瞬間、俺、思ったんさ、


死んでたまるか!って。


そして、覚悟を決めた。

俺の今出来る、取るべき道は『ハンドルを放さないこと』。

放せば、今年のお盆は迎える側ではなく、


『迎えられる側』になるぜ?




でも、ハンドルを放さないと覚悟を決めた瞬間、俺は確かに見たんだ。


自分がよちよち歩きの幼いあの頃から大学卒業までの『走馬灯』を。


そして大学卒業~オランダ研修編の走馬灯が見え始めたその瞬間

ガクンと前方にトラクタは倒れ前輪が地面を掴んだ。

俺は速攻でトラクタを緊急停止した。

長い一瞬、時間にして数秒の出来事だった思う。



俺は生還したのだ。



『九死に一生』、いや、走馬灯が途中で途切れたから『七死に三生』ぐらいか?

もしも走馬灯を全部見てたら、

トラクタに『圧殺』か『耕殺』され、

お盆は『迎えられる側』になっていたに違いない。


俺は緊急停止したトラクタの上で暫し呆然。


そして安堵からか、何故だが笑顔になった俺。

でも、その笑顔はだんだんひきつってきて、

背中に今までかいたことない量の冷汗をかいたんだ。


暑い真夏の炎天下、

この夏一番恐かった出来事です。


多分ね、たまたまだったんだ、トラクタが倒れずに元に戻ったのは。

もしもウイリー走行してる時に、さらに何かに乗り上げて、後輪の右輪と左輪のバランスが崩れたら、俺はきっと全ての走馬灯を見ることになっていただろう。

運が良かったんだ。本当に。

そして『ハンドルから手を放さない』と覚悟を決めたことが、俺の生死の分かれ目だったと思う。

ハンドルを放さないと覚悟を決められたのは、死んでたまるかって思えたのは、多分、あの時パッと脳裏に浮かんだ恐妻と子供たちのおかげだと思う。


明日、恐妻の実家に恐妻と子供達を迎えに行く。

俺は恐妻と子供達に、まず「ありがとう」って言おうと思う。
きっと恐妻や子供達は不思議そうな顔をするけど、気にしない。

俺の生きる意味、今回の件でそれをあらためて学んだ。



最後に一言。


生きてて良かったー!!!!!!

A-GYO(エイギョウ)agyonoudennki at 23:30│コメント(5)トラックバック(0)